レバレッジメモ: 疑う力の習慣術

PHP新書刊、和田秀樹著『疑う力の習慣術』を読みました。

本書を読んだ目的は、情報の見極め方を知りたいからです。 この不信の時代、情報を鵜呑みにしたら危ないです。 しかし、あらゆる情報をシャットアウトしてしまっては時流に取り残されます。 そこで重要になってくるのが疑う力なわけです。 では、何をどのように疑っていけばいいのか、疑う力が何を持たらすか、疑う力の具体例が気になります。

現時点でのレバレッジメモ

なお、レバレッジメモでは、「エッセンスが重要だから出典は書く必要はない」といわれています。 だが、僕は多読初心者であり、1冊ずつメモを作成しないといけないレベルに過ぎません。 そのため目次を予め打ち込んでそこの下の階層にメモを書いています。 レバレッジメモのもう一つの意義「本の内容をメモだけで再現する」を満たすためには、目次というコンテキストが必要と考えています。 そして、冊数が増えるに従ってレバレッジメモに書かれたエッセンスを集約した「究極の本」をつくるつもりです。

一方、目次を打ち込むことで全体像がつかめるようになり、本文の理解が早くなるという利点もあります。

レバレッジメモ

まえがき
  • 『失敗を絶対、成功に変える技術』(アスキー)
  • 『本物の実力のつけ方』(東京書籍)
情報を疑う能力が問われる時代
メディアが「疑う力」を奪っている
<>テレビで言われている意見が、あたかも自分自身の考えであるかのようになっていく。<>テレビによって「正義」と「悪」が決まってしまっている側面があるとすら言える<>今のメディアからは、アル・カイダフセイン金正日らの意見をまったく報道しないようにしている<>それが疑う力を奪っていく
スケープゴートを作る論調に流されるな
<>看守暴力事件で「では、受刑者が暴れたとき看守が一切暴力を振るえなかったらどうなるのか?」<>いじめからの凶悪事件では「被害者の側にも非があったのではないか?」<>物事には善と悪だけでなく、グレーの部分もある。というよりも、グレーの部分がほとねんおであって、絶対善、絶対悪などというものはまずない。
自分の価値判断基準を疑ってみる
<>先進国の価値観、西側諸国の価値観が必ずしも正しいとはわけではない。「何が幸せか」という基準に立てば、その形は多様に存在すると考えられる
21世紀は脱学問の時代
<>自分の理論が正しいことを前提としていて、自分の理論を疑おうとはしてない<>理論があくまでも正しく、現実のほうが間違っているという見方をしてしまっている。<>学問によって解明されてきた部分は、社会、自然、人間のうちのごく一部分
ニュートン物理学から相対性理論
<>どの分野の学問においても、現在信じられている学説は絶対的なものではなく、今後いかようにも書き換えられてゆく可能性がある
健康常識、医学常識を疑う
<>医学データ、医学常識というものは、「人間はみな同じ構造をしている」、「人間はみな同じ反応をする」というような仮説の下に結論が導き出されているだけであって、ゲノム解析などが進めば、「人間の体質は人それぞれ違いが大きい」ということおになって、医学常識も変わってくるかもしれないのである。<>医学は、人間の臓器はみな同じ構造をしているという乱暴な仮説の下につくられている<>医学の前提条件がかわりつつある<>すべての人が同じでない以上、健康常識は確率論に基づいたものであって、自分の体には必ずしも当てはまらない
条件が違えば、理論は当てはまらない
人口減少とパラダイム・シフト
アリとキリギリスのどちらがよいか
<>子育てや教育の中で、「お金を使わないとダメだ」と教えたり、浪費を推奨したりすることは、抵抗があるけど、自分の考え方を疑ってみる必要があるほど、大きなパラダイム変化が起こっている
マスオさんは何歳?
<>アメリカとの平均年齢の差、社会の差を考えると、アメリカ的に若返り政策をとることが、本当に日本社会にとってよいことかどうか疑ってみる必要がある
文系型人間と理系型人間の違い
<>理系の学問というのは、仮説を立てて、それを実験し、その結果によって判断する。だから、どんな説でも試してみなければわからないという考え方をする<>文系の人間は「誰が言ったか」という<>「誰が言ったか」ということを重視しすぎて、有名学者の信者になってしまうと、その学説を疑うことができなくなる。他の可能性があるのに考慮の対象にならなかったり、他の説のほうがより効果的なのに自説にこだわったり、時代背景や前提条件の変化についていけなくなるなど、より正しい問題解決ができなくなるおそれがある。
たくさんの可能性を試してみる
<>「損はここまでと決めておけば、そこまでは何でもできる」
消費者の視点に立つ
根強いニーズのあるニッチ分野
<>「倒錯者相手じゃ儲からない」と考えるか、「倒錯者の人数は少ないが、店がもっと少なければ儲かるかもしれない」と考えるかで、結果は違ってくる
専門家より素人のほうが疑える
<>素人であっても、疑わしいと思ったことはきちんと調べていけば、どんな分野のことでも、きっと道は開ける
時代に逆らったほうが成功する確率は高い
<>出版の世界では「コレステロールが高いのが危ないというのは嘘だ」「煙草が体に悪いというのは嘘だ」「勉強のしすぎが心に悪いというのは嘘だ」という説をいうと、編集者たちは興味を持ってくれる<>時流に逆らう方法を選ぶ人は少ないから、ライバルが少なく、少数のニッチ市場を独占・寡占できる。
何が疑う力を奪うのか
心情読解問題への疑問
<>教師の価値観が正解であるかのような教育では、子供たちにとってかえって不幸な結果をもたらすかもしれないし、子供たちからは疑う力を奪っていく<>そもそも知識というものは増えれば増えるほどバッティングするものである。<>自然科学の場合は、知識が増えても比較的すべての知識に整合性があるが、<>人文科学や社会科学では知識が増えれば増えるほど、対立する理論がたくさん出てくる<>心理学などでは、人によって理路がみな違っていたりする
子供の疑問にはきちんと答えること
<>若い時期には大人が何かを言うと「それは違うんじゃないか。こういう理由で違うはずだ」と反論したくなるものだ。
教育とはスキーマをつくる作業
<>認知的枠組をつくることによって、疑う力は押さえこまれるが、そのかわりに、人間の情報処理の仕方が効率的になっていく
スキーマが認知の邪魔をする
<>思い込みが強いと、自分の思い込みに一致する都合のよい情報しか覚えていられなくなる
成功体験が多いと思い込みも強くなる
<>従来型のスキーマを持っていると他の可能性を考えられなうかんあるから気をつけないといけない
認知的不協和という心理
<>誰でも自分の立場に左右された認知をしがちだが、それを自覚しているかどうかで、大きな差がつく
自尊感情」と疑う力
<>大卒者は「自分は中卒や高卒よりも賢い人間だ」という思い込みを疑ってみることも必要
「怒り」と疑う力
「自己愛の満足」と疑う力
<>相手から疑う力を奪うには、相手の自己愛を満たしてあげるのが一番よい<>セールスのときには、相手の自己愛を満たしてあげるとうまくいく
「集団心理」と疑う力
<>個人としては疑う力を持っていても、集団の中に入ることによってその力が奪われてしまうことも多い。
「権威」と疑う力
<>誰しも権威には弱い。権威のある人の言うことには、疑わずに信じてしまう傾向がある。<>どんなにエラい人でも、無意識のうちに自分の立場に縛られて発言してしまっている場合もあるし、自分の専門外のことに関しては意外に知らないこともある
「正義感」と疑う力
<>人道主義の人は自分たちが正しいことをしていると思っているので、独善的になったりする
疑う力が判断をより妥当にする
自分の力に疑いをもつ
<>どんなにエラい立場になったとしても、学び続けなければ成長は止まってしまう。逆に、「自分はバカだからもう少し勉強しよう」と思って、知らないことを学んでいけばどんなに偉い立場になってからでも飛躍的に能力を伸ばしていける。<>出世した人は「学ぶのに有利な立場になったから、もっと多くのことを学ぼう」と考えたほうが成長できる
メタ認知の大きなメリット
<>自分の力を疑うのに一番必要なのはメタ認知(自分のことを客観的に見積める能力)<>自分の経験や立場によって、自分の意見はかなり左右されている可能性がある<>メタ認知を使うと、自分にとってより妥当な判断を下せるようになる
複眼思考を身に付ける簡単な方法
<>何かを始めようとするときには、「自分は十分にそれについての知識を持っているだろうか」「十分に技術を持っているだろうか」「十分に準備が出来ているだろうか」と自問すると、知識面の偏りや技術面での不備な点などがはっきりしてきて、そこを修正することによって、より問題解決に近づいていく<>複眼思考は、物事を別の角度から眺めてみる習慣づけ<>複眼思考を身に付ける簡単な方法は「印象」と「数字」の両面で物事を見つめ直す<>印象だけで判断すると誤りを起こしやすいので、少なくともデータで確認する
世の中に確かなものはない
<>「世の中に確かなものはない」と考えることで、さまざまなことを疑う力がでてくる
より確率の高いものは何か
<>確率をよりどころに判断していくとよい
数字を見る能力と数字を疑う能力
<>相関関係と因果関係の違いで誤解が多い<>定説を疑ってみるときに、数字のデータを調べてみるのが重要<>相手に数字を見せられたとき、急速な増加については疑う
場合分けの効用
<>社会人になったとたん、場合分けによる方法論を忘れて、条件が違うのに条件を考慮しないで同じやり方で問題を解こうという人が多い
シミュレーション能力と最善手
<>場合分けしただけで本当の効果はなく、シミュレーションを緻密に行うようにする
人間は立場に縛られる
<>自分の立場に不利になるようなことを言う人のほうが信用されすい<>相手がどんな立場におかれているのかをよく見れば、相手の意見をきちんと疑うことができる。
疑う力にもデメリットはある
<>疑いすぎはデメリット<>疑っても証拠が見つかりそうにないこと、疑っても疑いきれないことなどを疑いだすと、疑いのための疑いになってしまう<>目的本意で考えて、「疑ってメリットがあることなのかどうか」をよく考える
疑ってはいけないこと
<>何かに迷ったときや、重大判断をしなければならないときにだけ疑う力を発揮すればよい
疑う力が創造性を養う
発明、発見のきっかけ
<>疑う力は創造性を高めるにも非常に役立つ<>発明、発見を支えてきたのは「なぜだろう」「どうしてこうなっているんだろう」という疑う力
問題解決能力と問題発見能力
<>『失敗学のすすめ』(講談社刊)<>これからは問題発見型の人間にならないといけない<>より高度なレベルの問題発見のときにこそ疑う力がいっそう役立つ<>日常生活や日常のビジネスで「当たり前」と思っていることを疑っていくことによって、新たな問題が発見でき、次の創造につながる可能性がある
官僚には無理難題を与えよ
一つの答えで満足してはいけない
<>うまく問題を発見するには、日常生活において小さなことに対しても常に問題意識を持つ姿勢を習慣化しておく必要がある<>1つの問にたいして1つの答えだけで満足しないこと<>いろいろな疑問が生じてきて新たな問題発見や発想につながる
「脱常識」の考え方
<>「常識」を疑うことからはじまる<>「脱常識」のためにはいろいろな本をよむなどして常識を身に付けておく必要がある
ポスト・イットバイアグラ
<>「失敗の中に成功のヒントがある」<>失敗の中には従来の常識を打ち破るヒントがいくつも隠れている<>どのような問題解決法にも副作用としてのデメリットがある。<>デメリットがメリットにならないかと疑ってみると、画期的な問題解決案がうまれてくる可能性がある
二つの疑う力
<>誰が言ったかではなくて、その中身が大切<>「偉い学者が言ったことは正しい」という思い込みを疑う<>「素人が言うことは間違っている」という思い込みを疑う
素人の発想は一般消費者の発想である
<>1つ目の案で駄目だったとき2つ目の案、3つ目の案をだせるかどうかが素人と専門家の違い<>期待値的な発想もプロの特徴
連載コーナーの裏事情
<>データから推測したことが必ずしも正しいとは限らない<>データを疑ってみる力をもつためには観察眼が必要<>連載コーナーでは、流行り物がみつからない場合、無理矢理に情報を作るという裏事情がある<>テレビでは言ってはいけないことが多すぎる
人から聞いた情報は自分で確認する
次の仮説を用意できる力
<>想像力を高めるためには、いかにたくさんの仮説を用意できるかがポイント<>常識を疑っていけばいろいろな案がうまれてくる
オリジナリティとは何か
<>「黒ではなくて白」というふうに疑うのではなく、「黒ではなくてグレーかもしれない」と疑うのが脱常識<>常識に近いところで、常識から少し出たところを思い付く人がオリジナリティが高い
疑う力でこれからの世の中を読む
起業不祥事はなぜ起きる?
<>自分がやっている日常茶飯事が「本当に正しいことなのか」「本当にお客様に受け入れられることなのか」を疑ってみる姿勢が、不祥事を防ぐ
学力低下はなぜ生じたのか?
経済政策はなぜうまくいかない?
<>比較するときには指標をそろえるのが統計的判断の鉄則
心理学を疑え
<>日本で現在通用している心理学はほとんどあてにならない<>「○○学」と聞くと、信憑性が高まってしまうが、検証しない限り、それほどの信憑性はない
高齢者は金喰い虫ではない
<>老害というのは高齢者がいばっていることが問題であって、彼等の生産性が低くて邪魔になっているという話はあまり聞かない
アメリカ追随の功と罪
<>アメリカでうまくいったことは日本でもうまくいく、という思い込みを疑う<>本当にアメリカでうまくいったのかどうか、も疑う
石油を持っている国は豊かなのか?
<>付加価値が大きい時代になればなるほど、資源を持っていることの価値があまりなくなってくる
共産主義は本当に負けたのか?
<>時代に応じて勝敗というのは変わってくるから、「勝負はついた」と思い込まずに今のシステムを常に疑ってみることが必要
北朝鮮問題のシミュレーション
帰納法、逆演算思考で、世の常識を疑う習慣を
<>学問が権威になってしまうと、演繹的な考え方をしてしまう<>「学説ではこうなっているから、この場合はこれが正しい」<>「常識的にはこの場合はこうすべきだ」<>今は演繹的な考え方はあまり通用しない。現実世界のほうが学問よりもはるかに進ねでしまった<>今は帰納的な考え方をする<>現実のケースから、自分で理論を生み出していく<>原因帰属を短絡化しないようにする習慣付けが必要<>原因を単純化すると、あたかも理論のようになってしまい、演繹的に応用したくなってくる→失敗<>原因はたくさんあり、それらが重なりあって初めて一つの事象が起こっている<>複雑な事象を単純化しようとしがち<>従来から存在する理論や常識にとらわれずに、現実の成功事例をよく研究してその原因をいくつも探るのが重要<>疑う力を磨いて、常識にとらわれず、マスコミ情報に惑わされず、複雑な事象を自分の頭でより正確に読み解く能力を身に付けることが必要
あとがき
疑うだけでなく、ほかの可能性が考えられるようになってほしい
ただ疑い、ただ批判するだけでは、決してクリティカルとはいえないし、建設的ではない
疑って、そのうえで、ほかの可能性が考えられたら、より創造性も増すだろうし、より建設的に考えられる

総括

  • 今や常識はすぐに陳腐化する時代
  • 常識やマスコミにとらわれない考え方(脱常識)をしろ
  • 脱常識のためには常識を知る必要があり、やはり多読が重要
  • 現実の事例から、枠にとらわれず自分の頭で考えろ
  • 疑う力を磨くことで、新たな発想がでてくる